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2026-03-31

この春、こう変わる

   この春、自分の人生の分岐点となる。4月から、就労を目的としたプログラミング講座を2年間受ける。体調によるが、2028年には働く。働くことは、長年の夢だ。市民活動は私にとって重要だが、お金は生み出さない。お金を伴う仕事には「社会と繋がっている 」という感触を得ることができる。もうごちゃごちゃ考えなくても済む。初の給料は、焼肉弁当を食べることと、自治体や社会課題に取り組む団体への寄付、家族へのプレゼントに当てる。

  講座の集中は優先事項だが、余暇として時事問題の情報収集や中国語やスペイン語に触れたい。ごがくはじぶんの狭い視野を広げる。ー

2026-01-08

構想、CPちゃんガレージ

  まだ時期は未定だが、「CPちゃんガレージ」と言うサイトを立ち上げようと思う。概要は次の通りだ。

  • 練習用に作ったWebアプリケーションを多数公開(日曜大工的に楽しく運営するため、ガレージとした)
  • 障害があっても気軽に使えるもの(ログイン不要、ブラウザのみで動く)
  • アプリはオープンソース(作り方を紹介し、改変できる)にする
  • 自分のポートフォリオ(実績作品集)にする

 9年前にも、上記のようなものを作りたいと考えたが、他のことで忙しくなり頓挫した。今回は挫折せず実現したい。ただ、今のところサーバーの勉強中なので、道は近くない。まあ、焦らずに行く。

2026-01-02

書き初め


 今年のキーワードは、「あせるな」。

 私が体調を崩した場合、焦っちゃったんだと笑ってください。

2026-01-01

2026年 新年のご挨拶

明けまして、おめでとうございます。

去年は、胃ろうを付けました。全く考えつかなかったことが起きました。大変ですが、みんなのおかげで、自立生活を継続することが出来ています。

今年は、Web制作(9年ぶり)、ITパスポートに挑戦しつつ、プログラマーの養成講座を受けます。ただし、ゆっくりと焦らずに行きます。今年も、どうぞよろしくお願いします。


2025-12-31

2025年 3大ニュース

  •  胃ろうを付けた(7月)

誰にも相談せず決めたのは、皆に申し訳なかった。


  • 「パソッテル」を導入(3月)

ベッドで動画を見たり、会話できるようになった。これは革命!


  • プログラミングを11年ぶりに再開(12月)

今まで市民活動で我慢していたプログラミングを、胃ろうを付けた件で「人生はいつどうなるかわからない。後悔しないようにしよう」と思った。

2025-12-30

言い続けること

  理想や夢は言い続けることが大切だ。何が、“現実を見ろ”、“お花畑”だ? 理想と夢を思わなければ、そこには到達し得ないのである。だから言おう。

戦争のない社会を実現する

自然に優しいエネルギーで生活する

相手を尊重する

楽しく暮らす


2025-12-29

バス会社にお願い

  バス会社に一つお願いしたいことがある。車椅子やベビーカー、お年寄り、妊婦さん、病気の方が、気兼ねなく自由にバスに乗ることが出来るよう、以下のような仕様のバスを走らせてもらいたい。

  • バスの前方から後ろまで段差をなくす。
  • 座席をお客さんが跳ね上げたり、設置できるよう、簡単仕様にする。
  • 車椅子やベビーカーを止めるひもを、手すりにぶら下げておく。

提案理由:

 私は最寄り駅に行くときなどに、バスを利用する。車椅子の乗車は、1,運転手さんに入り口にスロープを渡してもらう、2.お客さんに座席を譲ってもらう、3.運転手さんが車椅子を止めるという流れで乗る。私は、2と3の工程が嫌いだ。すでに乗っているお客さんにとても申し訳ないし、実際に白い目で見られる。高齢化社会で、座席の必要な人が増えている中、「車椅子だ。譲れ」と言わなければならないのは心苦しい。また、運転手さんは安全運転のため、固定はひもで十分だと思う。

 バス会社には是非とも、上記のようなバスをお願いしたい。

2025-12-22

安楽死発言は、やめて

  私はここ2年間、心不全と誤嚥性肺炎で入退院を繰り返している。また近年、政治家や有名の「延命治療はやめた方が良い」、「チューブだらけになって生きるのはおかしい」といった。安楽死を勧めようとする発言が増えた。入院、自宅療養中でそれらを聞いていると、「私も死んだ方が良いのかな」と思ってしまう。そのように感じる患者は、私のみではないと思う。

 死生観はそれぞれにあっていい。しかし自分が考える死生観を人に勧めたり、強要するのは、やてもらいたい。政治家や有名人の安楽死発言は、殺人になり得る。

2025-09-13

2020年代 後期計画

 今後はおそらく、働いて稼ぐこと、社会貢献は出来ない。しかし今の世界について懸命に考え、わずかながら発信することは、世の中のお役に立てるかもしれない。 立川のものしりじいさんとして、暮らす


基本方針:

・楽しむ。日々、すたいるを変える

・目標は立てない

・無理はしない。楽して勉強

期間:

 2030年12月ぐらい

身につけるもの:

 読書習慣(22月11月~)、語学(高校生~)、経済学(※1)、政治(※2)、AIなどのコンピュータ知識、

 (※1 施設入所より、地域生活/自立生活の方が経済的であることを突き止める)

 (※2 国に戦争させない方法を探る)



2025-07-16

40代の決意

 2025年7月13日

立川で生きて、立川で死ぬ、施設に行きたくない


2025-06-27

いま感じていること(2025年6月


この文章は、他人に見てもらうよりか、考え方を自分の中で整理し、批判するために書いています。考え方を押しつけようという意図は全くありません。


1.結論

障害者(難治性の病気を持つ人を含む)は、健常者社会に否!(アンチテーゼ)を与えることの出来る、唯一の存在であると思う。アンチテーゼを訴え、それが受け入れられる社会になれば、みんなが楽しいと思える世の中になる。今が踏ん張り時だと考える。

ただ、具体的にどう行動するのかは、わからない。


2.健常者社会とは何か

ここでは「健常者」とは、五体満足で、元気、まあまあ労働ができ、余暇も楽しんでいて、病気やけがをしてもすぐ治る人と定義してみる。

健常者の人生は、ピンピンコロリが良いとされる。健常者社会では、そのような人が求められている。

テレビやラジオ、新聞はこのような社会を強化し人を洗脳してきた。見通せない経済のため、市民が不安になり、最近はそれが顕著に表れている。例えば、レジャー施設のCMでは、働くときは働いて休みは存分に遊ぶというストーリーのものが多い。リスキリングや、副業のCMが増えたが、これは「健常者製造装置」になっている。人がどう働き休むかは、自由にさせてほしいと思うが、待っていたら日本経済が持たないのかもしれない。

SNSは、新しいメディアとして注目され、テレビやラジオ、新聞では取り上げていない意見を発信している。しかし、制作スピードと視聴回数を過度に気にして、健常者社会に迎合するものを再生産しているに過ぎない。

健常者はより健常者らしさを追い求める。


3.国の政策について

既存メディア(テレビ、ラジオ、雑誌)とSNS(エックス、ユーチューブ、インスタグラム等)がこぞって喧伝する健常者文化は、国の政策に大きく影響している。いや、国が率先して健常者文化を創り上げ、新旧メディアがそれを高め合っていると思う。

私は、新聞、ラジオ、本を通して政治について観るのが好きだ。国会を聞いていると、生産性向上、外国人排除、財源に関する答弁が、年々増えたと感じる。健常者向けの政策が目立つ。それを聞くとだんだん「私は生きていてはだめなのか」と叫びたくなる(実際に叫べないのが、私の弱点である)。

例えば、年金改革法案の審議では、「餡子のないアンパン」、つまり、国民年金の底上げ分の財源をどこから持ってくるかという点に焦点を当てすぎたと思う。そしてこのやりとりを聞いていると、「働いて保険料を納めて、年金をもらうのが当たり前であり、働かないで年金をもらっている自分が悪い」と感じた。

健常者向けの政治。その原因の一つは、メディア受けするからだ。バリバリ稼いで、活動的な国民が良いと言わんばかりである。また切り抜き動画を作りやすいように答弁を作る。


批判ばかりではいけないので、各政策について私の意見を述べる。

【経済】小日本主義で行こう。これからは、新しいことに挑戦せず、住む人が楽しい生活を送れる社会にする。


【防衛】「日本を攻撃してやろう」とするものに対応する役割は必要だが、大陸間弾道ミサイルを所持したり、事前に敵をたたくなどはしてはならない。身の丈に合う防衛で考えれば、米軍の日本駐留は不要であり、米軍にはすぐに帰ってもらうべきだ。日本は受動的な防衛で良いと思う。


【教育】学校は、勉強する場でなく、集まって活動する場とすべきだ。勉強はインターネットが有れば出来るもので、学校はそれを見守る。子どもは、わからないことがあったり、誰かと話したいと思ったら、いつでも学校に来て設備を使える。朝~昼の食事をカフェテリア形式で提供


【福祉】

在宅介護、在宅医療を重視した政策にするべきで、健常者に「施設より在宅のほうが儲かる」と思ってもらえるようにする。 

今年度、国は2つの検討会を立ち上げ、入所施設について議論。検討会はおそらく施設の縮小ではなく、施設の機能強化を打ち出すと思う。

5月21日の検討会では、「施設サービスと居宅サービスが併用できない」という問題が出された。もし重度訪問介護のヘルパーが施設でも働けるようになったら、入所者が外出できるようになる。しかし、労働力を施設にとられる?

 

2025-05-11

CPちゃんプロフィール

 

名前:CPちゃん 又は 多様誠太郎(「多様性だろう」)

生年月日:1985年6月11日(分身なのに何故かボスより早い)

性別:不明

活動:市民活動と勉強

職業:ボスの分身(ていうか、ほぼボス)

住所:T市

趣味:読書と、プログラミング(Python、C♯)、コンピューターグラフィック

ゆめ:ボランティアのデータサイエンス

2025-04-17

プー太郎1

  「40代と言えば、働き盛り」と言われる。が、私の場合、全く当てはまらない。

 37歳から、脳性麻痺による不随意緊張が全身にきて、心不全や誤嚥性肺炎などを患う。プー太郎の39歳である。

 最近、趣味でコンピュータグラフィックをやり始めた。正確には、中学の時に行っていたのを24年ぶりに再会した。しかし、グラフィックには必須のキーボード入力とマウス操作が思う通りに出来ない。YouTubeでは、20秒で出来る形状作成・配置を、5分かける。すごく疲れる。合理的に考えると、諦めるべきだ(仕事に結びえないし)。

 しかし、ものを作ることはワクワクする。モデリングして、これを動かして、アニメーションにする。その工程がこの上なく幸せ!

 身体を無視してグラフィックを続けるか。グラフィックをやめて身体が楽な生活を送るか。すごく悩む。

 

追伸:先ほど「Shade 3D basic」(グラフィックのソフトウェア)の体験版をダウンロードしました!

 

2025-04-10

私が使っている福祉機器

  私の生活で使用している福祉機器を紹介します。「家族から離れ地域で暮らしたいなあ」と検討している人など、参考になれば嬉しいです。


• 車椅子

 既製品をフィッティングハウスひらいしが私に合わせて改造しています。

ティルトがかなり出来るので、疲れたときに体を休めます。



• 玄関のスロープ

玄関に段差があるので、スロープ版を置いています。クリエイティブオフィスから購入


• お風呂場、

浴室には、つるべぇ(介護用リフト)を置いています。シャワーチェアに乗って体を洗って、つるべぇで浴槽に入ります




• シャワー椅子

アビリティーズ・ケアネットから購入。背もたれに、ホームセンターにあるお風呂マットをつけて工夫してます。


• 車椅子でパソコンしているところ



• パソコン

 Let's noteです。私の口として手として使い、寝てるとき以外はフル活用。これは3代目。Let's noteは2009年から1日たりとも壊れていない。小雨でも少しなら平気です(25年4月現在)




• ベッド、リフト

ベッドとリフトは、アビリティーズ・ケアネットから購入



• パソッテル トール  

川端鉄工所で制作しています。「ベッドで寝ながらモニターを見る」と言う当たり前の動作が、手が使えないと出来なくなります。2025年1月から1ヶ月間、必死に調べました。ある日、知人の紹介であるページを見て、そのページの脇を見るとパソッテル トールが有りました。奇跡的な出会い!

 安定感が抜群で、とても使いやすい。左右・高低・角度の調整が出来ます



• スイッチ

たっちぴこ(国際電機)。かなり丈夫で福祉機器としては安い。アメリカ製のボタンより安心



• トラックボール

オービット トラックボール ウィズ スクロールリング(ケンジントン)。欲を言えばと言えば、ボールの位置が高くてクリックボタンとの距離があります。

でも今売られているトラックボールの中で、使いやすいです








2025-04-09

スタートの季節

 

 世間では、「何かを頑張ることはいいこと」「春はスタートするチャンス」等と言われる。しかし今を生きることが精一杯で、何か挑戦する気持ちや状況ではない人もいる。おそらく後者の人が大多数ではないだろうか。「常に挑戦する人」は、本当にいるだろうか。

 私は昨年まで常に、気持ちとして何かにチャレンジしてきた。テレビ局の編集マン、大学教授、プログラマー、国連職員、翻訳家、保育園の先生・・・。それらのために、様々な勉強やトレーニングを行ってきた。仕事をして社会貢献したいという思いがある。年金・手当は必要だが、その分恩返ししたいのだ。

しかし2024年春に体調不良になり、すべて諦めざるを得なくなった。パソコンをすると不随意の緊張で過呼吸や心不全になる。幸い今は大分回復し、休みながらパソコンできるようになったが、やり過ぎると全身に倦怠感が生じる。

 広告やニュースを見ると、「リスキリング」、「キャリアアップ」等の言葉がはびこる。健常者の友人は転職や留学もしている。「やはり僕も頑張る」と思って、勉強を再開したら、また体調が落ちる。この繰り返し。夢と聞くと、モヤモヤする毎日である。

2025年4月、コンピュータグラフィックをやり始めているが、これもいつかは止めなければならないときが来ると思うと、悲しい。

普通に仕事を見つけ、仕事をしたいだけなのになぁ。令和の時代、私のような人を「残念な人」と言うのだろう。ただ、私以外の残念な人は、この世の中を生き抜いてもらいたい。生きてるだけでまるもうけ!

2025-04-06

家族について

 

私は1985年、関西地方で生まれ、3ヶ月のころに今のT市に引っ越してきました。家族は、父・母・兄・姉の5人で、家族に愛され育ってきました。4人には、いままでとこれからも逆らえません。 

父:

私が仮死状態で生まれたとき、医師から「この子の生存率は25パーセント」と告げられたのにもかかわらず、「生きる措置をしてください」と頼んだそうです。自分のワープロを平日の昼間貸してくれたり、1993年のある日突然パソコン(Macintosh LC)を買ってきたりと、私のコンピュータ生活に種を撒いてくれました。

また、仕事のアメリカ転勤に「家族揃っていくよ」とした父。障害児と子供2人を持つ親としては、男気のある決断。アメリカの3年間は、今の私を作り上げた。

 

母:

生まれてから37年間、全力で私をサポートしてくれました。通園施設や学校の授業参観、イベントに必ず来てくれて、ヘルパーがいない放課後と長期休暇に介助してくれた介助(ヘルパー制度は普及し、障害児でも使いやすくなったのは1990年代後半)。退学通学と院通学の9年間もサポートしてくれました。兄・姉・私にとって、最高の母です。

 

兄:

いつも的確なアドバイスを述べてくれます。

小学生の頃、ファミコンのコントローラーを改造して、私が使いやすいようにしてくれ、改善し続けてくれました。また、本を読めるように姉と一緒に木製ブックスタンドを創ってくれたりもした。兄が「工夫さえあれば何でもできる」ことを肌で教えてくれたのです。

 

姉:

姉も的確なアドバイスをくれます。彼女がいなけれぱ、CPちゃんはいないです。

小学生の時、おもちゃで遊んでいたら「あなた、手より足の方が動かしやすそう。試してみよう」と言います。実際、ラジカセを下に置き足で操作してみたら、楽でした。その日を境にして、様々ことが足でやれるようになったのです。今のパソコンスキルの原点は、姉のあの発言だったのです

 

2025-04-01

一人暮らしを始めた経緯

  今日は、私が一人暮らしを始めた経緯を書きたいです。以前作った原稿を元にしているため、どこかで見聞きした内容かもしれません。すみません

 

■私の生活

私のアパートは、T市で駅からバスで10分乗ったところにあります。高級住宅地ではないけど。かなり住みやすいです。注目点は、3点あります。

・スーパー、コンビニ、ドラッグストア、焼き肉屋、うどん屋が、徒歩1分圏内にあるところです。スーパーに30秒で行けることは、本当に素晴らしいです。

・最寄りのバス停が2つあって、駅行きのバスが、10分に3台は止まることです。混む路線なので、バスに乗れないことも、多々ありますが。次がすぐ来るので、快適です。4回バスを見送ると、さすがに焦りますがね。

・アパートの入り口に一番近い角部屋であることです。玄関を出たらすぐに、入り口スロープがあるので。ご近所さんを気にせず、出掛けられます。

■経緯

私は2018年3月6日から、このアパートで手伝ってもらいながら一人暮らしをしています。福祉の重度訪問介護を使い、1週間に約10名のヘルパー、3名の医療者に手伝ってもらい生活しています。24時間の介助です。

(1)決断

実家(同じT市)を出ようと、本気に思ったのは2017年の冬でした。それまでは、時間の制約はあるものの、ヘルパーと外出できているし、このまま親元でも良いかなと思っていました。私の部屋と、家族のリビングがアコーデオンカーテンで仕切られていて、プライバシー的に問題はあるものの。駅から近いし。何十年後、親がいなくなったら、ここで一人暮らしをしようと思っていました。

  そんな私を変えたのは、2つあります。一つは、親の体調が少し悪くなったことです。体調を戻してもらうためには少なからずある、私の介助や、介助者が毎日、家に入ってくることに対するストレスを無くすことだと思いました。それに、体調が悪そうな親をズーと見ていると、心配で何も手が付けられなかったです。2017年の上半期は、本当に辛かった。この状況を自分から変えなければならないと、常に思って、殺気だっていました。

自立を決意したもう一つは。木村英子さんという、多摩市の、自立ステーション・つばさの人に方から「自立をしなければ、あなたの言葉に説得性が生まれない。自立して、やっと自分の運動が始まるんだよ」と言われたことです。

2013年から障害者運動に参加させていただき、これからも、もっと関わっていきたいと考えていたので、この言葉は響きました。いま自立しないと、この4年間と、これからの活動が、尻切れトンボになると強く思いました。

(2)やったこと

 実際に自立の準備としては、周りの先輩方にどう自立したかをインタビューしたり。不動産屋さん巡りをしたりしました。

まず、介助時間についてです。私は、2004年からヘルパー制度を利用し始め、毎年、市役所に「もっと外に出掛けたいので、時間数を増やしてほしい」と言って、少しずつ増やしてもらいました。ただ、必要な時間数の資料を持って説明しても、「気持ちは分かるが、難しい」等と言われたり、私がはじき出した時間数を、何度も説明されても理解できない計算方法で、減らされたりしました。なので、一時的に、すこし時間を足りない月が、単発であった場合は、市役所に言うと、ガミガミ言われるのがいやだったので、オーバー分を自分のお金で払っていました。この地域は、障害者が多く、時間数の制限も多いから、障害福祉課も、切り抜け方がうまいでしょう。

交渉の過程に沿って話します。2017年、春に、親の体調が悪くなって、日曜日の昼も、介助者が必要のことで、20時間増やす交渉(285→306時間)をしました。これは、拍子抜けするほど、すんなりとオッケーが出ました。やはり、「もっと外に出掛けたい」と訴えるよりも、医療や介護の緊急性を言ったほうが良いのかと、日本の社会福祉の本当の姿を見てしまったようで、とてもげんなりしました。

自立を決心して。先輩がたや。複数のCILにも相談する中で。自立体験室を定期的に使ったほうが良いことになり。毎月2泊過ごすプランを立てて、支給介助時間を312時間から360時間にしてほしいと、モニタリングのときにお願いしました。

17年の6月20日に360時間のセルフプランを出し、6月30日に、なぜ360時間なのかの聞き取りが行われました。私の経験だと。ここの市役所は、増やしてくださいと言ったら。聞き取りは、必ずしてくれます

7月14日に、市から電話で。「結論としては317時間になります」と連絡が来ます。12時間だけ増やすというのです。また、事前調整も無く、勝手に減らされたことに、驚きました。到底納得行かないので、7月19日に、面談を申し込みます。この5日間は、どんなことを言われるか、ちゃんと言い返せるか、超不安でした。言うことを文章にして、想定されるやりとりをリハーサルし続けました。

そして面談の日。ケースワーカと係長は、一応、私の反論書に目を通しましたが、「公平性の観点から出せない」の一点張りでした。反論書で書いた家族の体調について、どうするのかと聞いても、「これまで、時間数は増やしてきたんじゃないですか、もう勘弁してください」と言うばかり。議論が平行線になり、らちがあかない状態になりました。ここで、私の交渉の弱さが出てしまい。沈黙に負けて。「では、8月と9月に。自立体験室を利用する予定なので、その実績を見て、再度検討してくれますかと」言いました。それには、首を縦に振って、「そうしましょう。毎日の介助内容を、メモ程度で良いので記録しておいてください」と言われました。

とても情けなかったです。必要な時間数が出ないせいもありますが。「公平性とは何かについて」深く追求できず、すっきりとした回答を得られなかったことが悔しかったです。僕の弱さを痛感しました。反省です。出してと言われた、317時間のサービス利用計画に、「その時間では到底足りない」と言うことを書いてやりました。役所は文書主義なので。計画と見合う時間数が出ていないと明記すれば、将来、何かに使えるかもしれないと思ったのです。その話し合いは最悪でしたが、唯一良かった点は、「近い将来、一人暮らしをする場合、それに見合う時間数は検討してくれますかと」言ったら、市は「それは、検討しますと」と言ったことです。そのとき、リップサービスかもしれないけど、この回答は「市役所が、早く自立しろと言っている。自立を早くしようと」というメッセージであると受け止めようとしました。

それを機に、時間数の交渉よりも、本格的に家探しに力を入れていきます。このままだと、360時間の交渉に、時間と体力がとられてしまうと思ったからです。■それと、もう一つ、家探しを専権事項にした理由は。2017年の夏に開かれた、CILの自立生活プログラムで。Hさんという方から。「先に家を決めちゃいなよ。先に決めて、「ここに住むので、介助時間をよろしくと」言えば市役所も動かざるをえなくなるよと」アドバイスをもらったからです。8月、9月にかなり動き、9月14日に、今のアパートに目星を付けました。

それと並行に、私には本当に、介助時間が一日24時間必要か、かなり悩みました。 これまでの市役所との経験から、相当覚悟がないと、重度訪問介護の24時間は無理だろうと思いました。また以前。時間数を増やしてほしいと言ったら。「お風呂は、重度訪問介護でなく、訪問入浴を使ったらどうですかと」進められたことがありました。訪問入浴だと、お風呂の時間に外出時間を合わせなくてはならないと思って、断ったら、お風呂の時間数をきれいに削られました。この経験があったため、「他の制度を併用して一人暮らしをしろと言われるかもしれない。言われる前に、就労継続支援などについて調べてみよう」と思いました。就労支援について知り合いに聞いたり、就労継続支援B型を見学したりしました。そういうことを1ヶ月続けて。だんだん、もんもんとしてきて「24時間は難しいかなと」勝手に感じ始めました。

そんなとき、9月19日の障害連の会議のときに、相談したら、みんなから一蹴されました。とくにOさんは、「君を見損なったよ。制度に生活を合わすのではなく。生活に制度を合わすんじゃないのか。君のやりたいのは何か」と怒られました。

私のやりたいこと。それは障害者運動に没頭できる生活です。相談して、腹が決まりました。と言うよりも、生活を妥協したら、運動の世界から追放されるなと感じました。4日後の9月23日、ケースワーカに文章を添えて、「24時間の重度訪問介護で行きたい、いつでも出掛けられるようにしたい」ことを、正式に伝えます。ケースワーカーからは「即答はできないが、一人暮らしの支援に向けて頑張る。アパートが決まったら、具体的なプラン案を持ってきてほしいと」言われました。

アパートが正式に決まるまでちょっと時間がかかって、間が空くのですが。11月6日に、1日24時間の利用計画を提出しました。2週間経っても、24時間の計画案に対する反応がまだだったので、「夏のように「317時間にしますなどと、勝手に決めないでもらいたいと」と文書とともに念を押します。24時間でない場合は、とことん話合うぞという意志を、見せつけるためです。11月30日に、市役所から、「相談したいことがあるので、来てください」と電話が来て。今度は何を言われるんだろうと、超ドキドキしながら行きました。相談というのは、1日に、2~3時間、一人でいる時間も作れないかというものでした。相談してくれたことに感謝しつつ。どの時間を削れと言うのかを、論点を詰めていきました。2時間、話して。「朝介助のあとの、2時間は削れる可能性がある。それ以外は削らない」という認識をさせました。

それで、検討してみますというかたちにして。2週間後、「やはり削れません。24時間介助が必要です」とする文章を出します。ここで、理由として挙げたのは、①朝の大便したときに、まだ残っている感じがして再度トイレに行き直すことがあること、②朝から出掛けることがあること、③駅までのバスが混んでいた場合、家を早く出る必要があることを、実際に調べて書きました。これを提出して、説明するときも。超ドキドキしましたが。「あ、わかりました」と言うぐらいで、あまり追求されませんでした。

年が明けた、2018年1月15日。車椅子の修理申請に行ったついでに、時間数はどうなっているかを聞いたところ。「先週木曜日に会議があって、24時間介助が認められましたと」言いました。こんな大事なことを決まったら電話してよと、凄く言いたかったですが。結果が良かったので、ぐっと、こらえました。市役所から言われたのは。「事故や、災害などで交代のヘルパーが来なかった場合の備えとして、一人でもいられるように工夫・練習もしていってください」と言うことでした。また、3月1日に自立生活を始めたのですが。3月20日に「セルフプランは駄目だと」と言ってきました。なぜ駄目なのか。セルフプランを始めた経緯を。納得いくまで話合いました。市役所は、「事業所を通してくれるならば、事業所は私が決めて良いと」言うので、受け入れました。自分が書く利用計画の案に、かなり合わしてくれそうな事業所にしてやろうと思って、探して、現在に至ります。その相談支援事業所が、もし、今後。ちゃんと書いてくれなかったりしたら。またはなしあうつもりです。私は、半年に1回のモニタリングがありますが。資料は相談支援事業所とともに作っています。それを相談支援事業所を経由で、T市に出すかたちにしています。その方法が運動的に良いのかわかりませんが。とりあえずは良いのかなと思います

■家探し

 アパート探しについて。話します。不動産巡りは、前述のHさんの、「YOU、住むところを先に決めちゃいなよ発言」をもらって。2017年7月からしました。T市近辺の不動産屋さんをまわりました。結論から言うと、物件の内見を設定してくれた不動産屋さんは、6店のうち、2店でした。あとの4店は、お店に行くと、丁寧に聞き取ってくれて、「探してみますと」と言ってくれるけど。一向に連絡が来ない。メールをしても、返信が来なかったり。連絡が来ても「いやぁ、なかなか難しいです。そちらのほうでも探してみてくださいね」と何故か、物件探しを依頼している依頼者に、物件を探せと逆に言ってきたりとしました。内見をさせてくれたのは、くにたちハウジングさんと。なかやま不動産。なかやま不動産は、噂では聞いていたけど。本当に素晴らしいです。

今の私の部屋は、スロープやリフトを付ける住宅改修の手続きも、凄くスムーズでした。この物件の一番よかったことは、大家さんがリノベーションしてから貸してくれることです。なので、「和室から洋室」にする、シャワーチェアでトイレをするので、トイレの種類や向きを変えてほしい、「冬にガスファンヒータを付けたいので、ガス栓をリビングに増設してほしい」。「洗濯機をなかにしてほしい等の要望をすべて受け入れて。大家さんも協力してくれました。最近知りましたが。市営や、都営住宅のバリアフリー住宅でも、ここまでの改造はできないそうです。私は、本当に幸せものです。それは自信を持って言えますね。

 

2025-03-31

CPちゃんについて

 私は、T市に住んでいます。

 私には脳性麻痺があり、歩くこと・手で作業すること・口で話すことができません。

ニックネームは本ブログ名の通り、「CPちゃん」。CPは英語で脳性麻痺を意味する、cerebral palsyの略です。


 T市で2018年3月6日から、介助者(ヘルパー)や訪問医療、病院医療を使いながら、一人暮らしをしています。

介助は、重度訪問介護という福祉制度を使い、一週間に約10名の介助者に来てもらっています。24時間で交代制。私は4つの介護事業所と契約しています。

訪問医療は、訪問リハビリと訪問看護。


 市民団体「障害連(障害者の生活保障を要求する連絡会議)」に参加し、いろいろ活動しています。機関誌の発行、行政会議の傍聴、?交渉、交渉、ホームページ管理、他団体の連携

趣味は、読書と、コンピュータグラフィック。