2025-06-27

いま感じていること(2025年6月


この文章は、他人に見てもらうよりか、考え方を自分の中で整理し、批判するために書いています。考え方を押しつけようという意図は全くありません。


1.結論

障害者(難治性の病気を持つ人を含む)は、健常者社会に否!(アンチテーゼ)を与えることの出来る、唯一の存在であると思う。アンチテーゼを訴え、それが受け入れられる社会になれば、みんなが楽しいと思える世の中になる。今が踏ん張り時だと考える。

ただ、具体的にどう行動するのかは、わからない。


2.健常者社会とは何か

ここでは「健常者」とは、五体満足で、元気、まあまあ労働ができ、余暇も楽しんでいて、病気やけがをしてもすぐ治る人と定義してみる。

健常者の人生は、ピンピンコロリが良いとされる。健常者社会では、そのような人が求められている。

テレビやラジオ、新聞はこのような社会を強化し人を洗脳してきた。見通せない経済のため、市民が不安になり、最近はそれが顕著に表れている。例えば、レジャー施設のCMでは、働くときは働いて休みは存分に遊ぶというストーリーのものが多い。リスキリングや、副業のCMが増えたが、これは「健常者製造装置」になっている。人がどう働き休むかは、自由にさせてほしいと思うが、待っていたら日本経済が持たないのかもしれない。

SNSは、新しいメディアとして注目され、テレビやラジオ、新聞では取り上げていない意見を発信している。しかし、制作スピードと視聴回数を過度に気にして、健常者社会に迎合するものを再生産しているに過ぎない。

健常者はより健常者らしさを追い求める。


3.国の政策について

既存メディア(テレビ、ラジオ、雑誌)とSNS(エックス、ユーチューブ、インスタグラム等)がこぞって喧伝する健常者文化は、国の政策に大きく影響している。いや、国が率先して健常者文化を創り上げ、新旧メディアがそれを高め合っていると思う。

私は、新聞、ラジオ、本を通して政治について観るのが好きだ。国会を聞いていると、生産性向上、外国人排除、財源に関する答弁が、年々増えたと感じる。健常者向けの政策が目立つ。それを聞くとだんだん「私は生きていてはだめなのか」と叫びたくなる(実際に叫べないのが、私の弱点である)。

例えば、年金改革法案の審議では、「餡子のないアンパン」、つまり、国民年金の底上げ分の財源をどこから持ってくるかという点に焦点を当てすぎたと思う。そしてこのやりとりを聞いていると、「働いて保険料を納めて、年金をもらうのが当たり前であり、働かないで年金をもらっている自分が悪い」と感じた。

健常者向けの政治。その原因の一つは、メディア受けするからだ。バリバリ稼いで、活動的な国民が良いと言わんばかりである。また切り抜き動画を作りやすいように答弁を作る。


批判ばかりではいけないので、各政策について私の意見を述べる。

【経済】小日本主義で行こう。これからは、新しいことに挑戦せず、住む人が楽しい生活を送れる社会にする。


【防衛】「日本を攻撃してやろう」とするものに対応する役割は必要だが、大陸間弾道ミサイルを所持したり、事前に敵をたたくなどはしてはならない。身の丈に合う防衛で考えれば、米軍の日本駐留は不要であり、米軍にはすぐに帰ってもらうべきだ。日本は受動的な防衛で良いと思う。


【教育】学校は、勉強する場でなく、集まって活動する場とすべきだ。勉強はインターネットが有れば出来るもので、学校はそれを見守る。子どもは、わからないことがあったり、誰かと話したいと思ったら、いつでも学校に来て設備を使える。朝~昼の食事をカフェテリア形式で提供


【福祉】

在宅介護、在宅医療を重視した政策にするべきで、健常者に「施設より在宅のほうが儲かる」と思ってもらえるようにする。 

今年度、国は2つの検討会を立ち上げ、入所施設について議論。検討会はおそらく施設の縮小ではなく、施設の機能強化を打ち出すと思う。

5月21日の検討会では、「施設サービスと居宅サービスが併用できない」という問題が出された。もし重度訪問介護のヘルパーが施設でも働けるようになったら、入所者が外出できるようになる。しかし、労働力を施設にとられる?