私はここ2年間、心不全と誤嚥性肺炎で入退院を繰り返している。また近年、政治家や有名の「延命治療はやめた方が良い」、「チューブだらけになって生きるのはおかしい」といった。安楽死を勧めようとする発言が増えた。入院、自宅療養中でそれらを聞いていると、「私も死んだ方が良いのかな」と思ってしまう。そのように感じる患者は、私のみではないと思う。
死生観はそれぞれにあっていい。しかし自分が考える死生観を人に勧めたり、強要するのは、やてもらいたい。政治家や有名人の安楽死発言は、殺人になり得る。
本ブログでは、私(CPちゃん)の日頃考えていることを文章、絵、動画として載せています。重度障害者の地域生活はどんなものかをわかってもらえると嬉しいです。絵、写真、動画は、注釈が無い限り、著作権を放棄します。
私はここ2年間、心不全と誤嚥性肺炎で入退院を繰り返している。また近年、政治家や有名の「延命治療はやめた方が良い」、「チューブだらけになって生きるのはおかしい」といった。安楽死を勧めようとする発言が増えた。入院、自宅療養中でそれらを聞いていると、「私も死んだ方が良いのかな」と思ってしまう。そのように感じる患者は、私のみではないと思う。
死生観はそれぞれにあっていい。しかし自分が考える死生観を人に勧めたり、強要するのは、やてもらいたい。政治家や有名人の安楽死発言は、殺人になり得る。
誰かが、重度障害児の安楽死について言っているみたい。
私は、子どもが重度障害を持つ親の立場でないため、「絶対産み、育てた方が良い」と言えない。しかし、重度障害をもって40年間、生きてて良かったと思うし、もしこの社会が許してくれるのであれば、もう少し生きていたいと思う。
確かにお金のことを考えれば、私を殺した方が節約になるが、人というのはすべて合理的でないとだめなのだろうか。社会の中に、非生産性の者も存在する状態が、のんびりしていて良いと感じる。みんな24時間、生産性を追い求めると疲れちゃうよ。
「私は、非生産性の存在として価値がある」と言わない。しかし生きることを認めてほしい。何事にも遊びが必要かもよ。
自分の好きなところで暮らしたい。こう考える障害・病気を持つ人や高齢者には、訪問系の福祉サービスや地域医療が必要だ。しかし今の日本は、施設系の福祉サービス(グループホームを含む)、病院中心の医療サービスが儲かる産業構造になっている。本人の生活を見ずに産業化している。
私の生活に欠かせない重度訪問介護(訪問系の福祉サービス)は、ヘルパーの労働で次のような構造的問題がある。
• 派遣時間が細切れの場合が多く、拘束時間と賃金が見合わない(1日2派遣以上ある場合、移動時間・休憩時間も給与に反映すべき)
• 利用者が病気で派遣が中止になった場合、労働保障が乏しい(キャンセル時の給与保障、他の業務に行えるようにする)
• 訪問系サービスの宣伝がなく、イメージが付きにくい(訪問系サービス専門のキャリア相談)
上記の労働条件ならば、働く側としては「施設の方が良い」と思ってしまう。国は、人とお金を施設系サービスに誘導にしたいため、意図的にこの仕組みにしていると考える。国としてはハコ物を単位として考えれば管理がしやすいからだ。しかし、施設(グループホームを含む)は集団生活を基本とするもので、利用者の生活に沿うのはできない。
訪問系を儲かるようにすることが急務である。例えば、重度訪問介護を福祉の標準サービスにするのは、どうか。具体的には、
• 障害・病気を持つ人には、全員に重度訪問介護を支給
• 1日24時間をベースに、本人の意向に応じて減らしていく支給方式
• ヘルパーの給与は月給固定制(派遣時間で換算しない)
• どの時間にはいってもらうかは、本人・ヘルパー・事業所が決める
• 高等教育機関、職場、通所施設、病院などのあらゆる生活で重度訪問介護を使えるようにする(本人がどこに行こうがヘルパーを使える =空き時間が減る)