2025-04-01

一人暮らしを始めた経緯

  今日は、私が一人暮らしを始めた経緯を書きたいです。以前作った原稿を元にしているため、どこかで見聞きした内容かもしれません。すみません

 

■私の生活

私のアパートは、T市で駅からバスで10分乗ったところにあります。高級住宅地ではないけど。かなり住みやすいです。注目点は、3点あります。

・スーパー、コンビニ、ドラッグストア、焼き肉屋、うどん屋が、徒歩1分圏内にあるところです。スーパーに30秒で行けることは、本当に素晴らしいです。

・最寄りのバス停が2つあって、駅行きのバスが、10分に3台は止まることです。混む路線なので、バスに乗れないことも、多々ありますが。次がすぐ来るので、快適です。4回バスを見送ると、さすがに焦りますがね。

・アパートの入り口に一番近い角部屋であることです。玄関を出たらすぐに、入り口スロープがあるので。ご近所さんを気にせず、出掛けられます。

■経緯

私は201836日から、このアパートで手伝ってもらいながら一人暮らしをしています。福祉の重度訪問介護を使い、1週間に約10名のヘルパー、3名の医療者に手伝ってもらい生活しています。24時間の介助です。

1)決断

実家(同じT市)を出ようと、本気に思ったのは2017年の冬でした。それまでは、時間の制約はあるものの、ヘルパーと外出できているし、このまま親元でも良いかなと思っていました。私の部屋と、家族のリビングがアコーデオンカーテンで仕切られていて、プライバシー的に問題はあるものの。駅から近いし。何十年後、親がいなくなったら、ここで一人暮らしをしようと思っていました。

  そんな私を変えたのは、2つあります。一つは、親の体調が少し悪くなったことです。体調を戻してもらうためには少なからずある、私の介助や、介助者が毎日、家に入ってくることに対するストレスを無くすことだと思いました。それに、体調が悪そうな親をズーと見ていると、心配で何も手が付けられなかったです。2017年の上半期は、本当に辛かった。この状況を自分から変えなければならないと、常に思って、殺気だっていました。

自立を決意したもう一つは。木村英子さんという、多摩市の、自立ステーション・つばさの人に方から「自立をしなければ、あなたの言葉に説得性が生まれない。自立して、やっと自分の運動が始まるんだよ」と言われたことです。

2013年から障害者運動に参加させていただき、これからも、もっと関わっていきたいと考えていたので、この言葉は響きました。いま自立しないと、この4年間と、これからの活動が、尻切れトンボになると強く思いました。

2)やったこと

 実際に自立の準備としては、周りの先輩方にどう自立したかをインタビューしたり。不動産屋さん巡りをしたりしました。

まず、介助時間についてです。私は、2004年からヘルパー制度を利用し始め、毎年、市役所に「もっと外に出掛けたいので、時間数を増やしてほしい」と言って、少しずつ増やしてもらいました。ただ、必要な時間数の資料を持って説明しても、「気持ちは分かるが、難しい」等と言われたり、私がはじき出した時間数を、何度も説明されても理解できない計算方法で、減らされたりしました。なので、一時的に、すこし時間を足りない月が、単発であった場合は、市役所に言うと、ガミガミ言われるのがいやだったので、オーバー分を自分のお金で払っていました。この地域は、障害者が多く、時間数の制限も多いから、障害福祉課も、切り抜け方がうまいでしょう。

交渉の過程に沿って話します。2017年、春に、親の体調が悪くなって、日曜日の昼も、介助者が必要のことで、20時間増やす交渉(285306時間)をしました。これは、拍子抜けするほど、すんなりとオッケーが出ました。やはり、「もっと外に出掛けたい」と訴えるよりも、医療や介護の緊急性を言ったほうが良いのかと、日本の社会福祉の本当の姿を見てしまったようで、とてもげんなりしました。

自立を決心して。先輩がたや。複数のCILにも相談する中で。自立体験室を定期的に使ったほうが良いことになり。毎月2泊過ごすプランを立てて、支給介助時間を312時間から360時間にしてほしいと、モニタリングのときにお願いしました。

17年の620日に360時間のセルフプランを出し、630日に、なぜ360時間なのかの聞き取りが行われました。私の経験だと。ここの市役所は、増やしてくださいと言ったら。聞き取りは、必ずしてくれます

714日に、市から電話で。「結論としては317時間になります」と連絡が来ます。12時間だけ増やすというのです。また、事前調整も無く、勝手に減らされたことに、驚きました。到底納得行かないので、7月19日に、面談を申し込みます。この5日間は、どんなことを言われるか、ちゃんと言い返せるか、超不安でした。言うことを文章にして、想定されるやりとりをリハーサルし続けました。

そして面談の日。ケースワーカと係長は、一応、私の反論書に目を通しましたが、「公平性の観点から出せない」の一点張りでした。反論書で書いた家族の体調について、どうするのかと聞いても、「これまで、時間数は増やしてきたんじゃないですか、もう勘弁してください」と言うばかり。議論が平行線になり、らちがあかない状態になりました。ここで、私の交渉の弱さが出てしまい。沈黙に負けて。「では、8月と9月に。自立体験室を利用する予定なので、その実績を見て、再度検討してくれますかと」言いました。それには、首を縦に振って、「そうしましょう。毎日の介助内容を、メモ程度で良いので記録しておいてください」と言われました。

とても情けなかったです。必要な時間数が出ないせいもありますが。「公平性とは何かについて」深く追求できず、すっきりとした回答を得られなかったことが悔しかったです。僕の弱さを痛感しました。反省です。出してと言われた、317時間のサービス利用計画に、「その時間では到底足りない」と言うことを書いてやりました。役所は文書主義なので。計画と見合う時間数が出ていないと明記すれば、将来、何かに使えるかもしれないと思ったのです。その話し合いは最悪でしたが、唯一良かった点は、「近い将来、一人暮らしをする場合、それに見合う時間数は検討してくれますかと」言ったら、市は「それは、検討しますと」と言ったことです。そのとき、リップサービスかもしれないけど、この回答は「市役所が、早く自立しろと言っている。自立を早くしようと」というメッセージであると受け止めようとしました。

それを機に、時間数の交渉よりも、本格的に家探しに力を入れていきます。このままだと、360時間の交渉に、時間と体力がとられてしまうと思ったからです。それと、もう一つ、家探しを専権事項にした理由は。2017年の夏に開かれた、CILの自立生活プログラムで。Hさんという方から。「先に家を決めちゃいなよ。先に決めて、「ここに住むので、介助時間をよろしくと」言えば市役所も動かざるをえなくなるよと」アドバイスをもらったからです。8月、9月にかなり動き、914日に、今のアパートに目星を付けました。

それと並行に、私には本当に、介助時間が一日24時間必要か、かなり悩みました。 これまでの市役所との経験から、相当覚悟がないと、重度訪問介護の24時間は無理だろうと思いました。また以前。時間数を増やしてほしいと言ったら。「お風呂は、重度訪問介護でなく、訪問入浴を使ったらどうですかと」進められたことがありました。訪問入浴だと、お風呂の時間に外出時間を合わせなくてはならないと思って、断ったら、お風呂の時間数をきれいに削られました。この経験があったため、「他の制度を併用して一人暮らしをしろと言われるかもしれない。言われる前に、就労継続支援などについて調べてみよう」と思いました。就労支援について知り合いに聞いたり、就労継続支援B型を見学したりしました。そういうことを1ヶ月続けて。だんだん、もんもんとしてきて「24時間は難しいかなと」勝手に感じ始めました。

そんなとき、919日の障害連の会議のときに、相談したら、みんなから一蹴されました。とくにOさんは、「君を見損なったよ。制度に生活を合わすのではなく。生活に制度を合わすんじゃないのか。君のやりたいのは何か」と怒られました。

私のやりたいこと。それは障害者運動に没頭できる生活です。相談して、腹が決まりました。と言うよりも、生活を妥協したら、運動の世界から追放されるなと感じました。4日後の923日、ケースワーカに文章を添えて、「24時間の重度訪問介護で行きたい、いつでも出掛けられるようにしたい」ことを、正式に伝えます。ケースワーカーからは「即答はできないが、一人暮らしの支援に向けて頑張る。アパートが決まったら、具体的なプラン案を持ってきてほしいと」言われました。

アパートが正式に決まるまでちょっと時間がかかって、間が空くのですが。116日に、124時間の利用計画を提出しました。2週間経っても、24時間の計画案に対する反応がまだだったので、「夏のように「317時間にしますなどと、勝手に決めないでもらいたいと」と文書とともに念を押します。24時間でない場合は、とことん話合うぞという意志を、見せつけるためです。1130日に、市役所から、「相談したいことがあるので、来てください」と電話が来て。今度は何を言われるんだろうと、超ドキドキしながら行きました。相談というのは、1日に、23時間、一人でいる時間も作れないかというものでした。相談してくれたことに感謝しつつ。どの時間を削れと言うのかを、論点を詰めていきました。2時間、話して。「朝介助のあとの、2時間は削れる可能性がある。それ以外は削らない」という認識をさせました。

それで、検討してみますというかたちにして。2週間後、「やはり削れません。24時間介助が必要です」とする文章を出します。ここで、理由として挙げたのは、①朝の大便したときに、まだ残っている感じがして再度トイレに行き直すことがあること、②朝から出掛けることがあること、③駅までのバスが混んでいた場合、家を早く出る必要があることを、実際に調べて書きました。これを提出して、説明するときも。超ドキドキしましたが。「あ、わかりました」と言うぐらいで、あまり追求されませんでした。

年が明けた、2018115日。車椅子の修理申請に行ったついでに、時間数はどうなっているかを聞いたところ。「先週木曜日に会議があって、24時間介助が認められましたと」言いました。こんな大事なことを決まったら電話してよと、凄く言いたかったですが。結果が良かったので、ぐっと、こらえました。市役所から言われたのは。「事故や、災害などで交代のヘルパーが来なかった場合の備えとして、一人でもいられるように工夫・練習もしていってください」と言うことでした。また、31日に自立生活を始めたのですが。320日に「セルフプランは駄目だと」と言ってきました。なぜ駄目なのか。セルフプランを始めた経緯を。納得いくまで話合いました。市役所は、「事業所を通してくれるならば、事業所は私が決めて良いと」言うので、受け入れました。自分が書く利用計画の案に、かなり合わしてくれそうな事業所にしてやろうと思って、探して、現在に至ります。その相談支援事業所が、もし、今後。ちゃんと書いてくれなかったりしたら。またはなしあうつもりです。私は、半年に1回のモニタリングがありますが。資料は相談支援事業所とともに作っています。それを相談支援事業所を経由で、T市に出すかたちにしています。その方法が運動的に良いのかわかりませんが。とりあえずは良いのかなと思います

■家探し

 アパート探しについて。話します。不動産巡りは、前述のHさんの、「YOU、住むところを先に決めちゃいなよ発言」をもらって。20177月からしました。T市近辺の不動産屋さんをまわりました。結論から言うと、物件の内見を設定してくれた不動産屋さんは、6店のうち、2店でした。あとの4店は、お店に行くと、丁寧に聞き取ってくれて、「探してみますと」と言ってくれるけど。一向に連絡が来ない。メールをしても、返信が来なかったり。連絡が来ても「いやぁ、なかなか難しいです。そちらのほうでも探してみてくださいね」と何故か、物件探しを依頼している依頼者に、物件を探せと逆に言ってきたりとしました。内見をさせてくれたのは、くにたちハウジングさんと。なかやま不動産。なかやま不動産は、噂では聞いていたけど。本当に素晴らしいです。

今の私の部屋は、スロープやリフトを付ける住宅改修の手続きも、凄くスムーズでした。この物件の一番よかったことは、大家さんがリノベーションしてから貸してくれることです。なので、「和室から洋室」にする、シャワーチェアでトイレをするので、トイレの種類や向きを変えてほしい、「冬にガスファンヒータを付けたいので、ガス栓をリビングに増設してほしい」。「洗濯機をなかにしてほしい等の要望をすべて受け入れて。大家さんも協力してくれました。最近知りましたが。市営や、都営住宅のバリアフリー住宅でも、ここまでの改造はできないそうです。私は、本当に幸せものです。それは自信を持って言えますね。