私は1985年、関西地方で生まれ、3ヶ月のころに今のT市に引っ越してきました。家族は、父・母・兄・姉の5人で、家族に愛され育ってきました。4人には、いままでとこれからも逆らえません。
父:
私が仮死状態で生まれたとき、医師から「この子の生存率は25パーセント」と告げられたのにもかかわらず、「生きる措置をしてください」と頼んだそうです。自分のワープロを平日の昼間貸してくれたり、1993年のある日突然パソコン(Macintosh LC)を買ってきたりと、私のコンピュータ生活に種を撒いてくれました。
また、仕事のアメリカ転勤に「家族揃っていくよ」とした父。障害児と子供2人を持つ親としては、男気のある決断。アメリカの3年間は、今の私を作り上げた。
母:
生まれてから37年間、全力で私をサポートしてくれました。通園施設や学校の授業参観、イベントに必ず来てくれて、ヘルパーがいない放課後と長期休暇に介助してくれた介助(ヘルパー制度は普及し、障害児でも使いやすくなったのは1990年代後半)。退学通学と院通学の9年間もサポートしてくれました。兄・姉・私にとって、最高の母です。
兄:
いつも的確なアドバイスを述べてくれます。
小学生の頃、ファミコンのコントローラーを改造して、私が使いやすいようにしてくれ、改善し続けてくれました。また、本を読めるように姉と一緒に木製ブックスタンドを創ってくれたりもした。兄が「工夫さえあれば何でもできる」ことを肌で教えてくれたのです。
姉:
姉も的確なアドバイスをくれます。彼女がいなけれぱ、CPちゃんはいないです。
小学生の時、おもちゃで遊んでいたら「あなた、手より足の方が動かしやすそう。試してみよう」と言います。実際、ラジカセを下に置き足で操作してみたら、楽でした。その日を境にして、様々ことが足でやれるようになったのです。今のパソコンスキルの原点は、姉のあの発言だったのです